Max Roachというドラマーがいた
MAXとの出会い
僕がジャズドラムを始めて、最初に名前を知ったドラマーがMax Roachだった。大学ジャズ研の部室にあった、『STUDY IN BROWN』というCDの『Take the A train』が、列車が走り始め、走り抜け、停止する様子を見事に表現していて、『ドラムでこんなことが出来るのか、、!』と印象的だった。
すぐにはMaxの凄さは、理解できなかったが、有名なレコードには軒並み参加しているので、一番慣れ親しんだジャズドラマーといえる。クリフォードブラウンとの双頭バンドのサウンドの完成度の高さは、ドラムがとても知的で芸術的な表現ができると示した金字塔だと思う。
知的で繊細な精神の持ち主
マイルスデイビスの自伝を読んでると、印象深い記述が出てくる。Maxは、マイルスと組んでた青年時代は、黒人の若者らしい陽気さを湛えた人物だったようだが、クリフォードブラウンの死と、その後のブッカーリトルの自動車事故死により、マイルス曰く『本当にMaxの心はズタズタに引き裂かれてしまった、もう前のようには演奏できなくなってしまった』と。なんとも悲しいエピソードである。
確かに60年代以降の彼の音楽とサウンドには、深い悲しみや怒り、問題提起のようなシリアスなムードが漂う。時代の雰囲気もあいまって、社会的変革を提起する凄腕ドラマーというイメージがその後のMax Roachの代名詞となった。
知的で繊細な精神。15歳でKenny Clarkにショックを受け、
音楽学校に入学し直したという。
しかも晩年まで一日6時間の練習を欠かすことがなかったというストイックさ!
僕は彼のサウンドから突如として消えた明朗な雰囲気が好きだ。
いつ聴いても楽しめる。
60年代以降のシリアスで激しく、一糸乱れね深い表現もいいが、、
楽しく聴くのは難しい。。
僕が一番好きなのは、晩年の1989年くらいのディジーガレスピーとのデュオだ。
このレコードのローチは陽気だ。
2人の友情と、生き抜いてきた人生への誇りと、芸術の極みが、愛とともに満場のオーディエンスを満たしている。
僕にとっては激励の一枚である。